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名 前:加治木英隆
出身地:鹿児島県鹿児島市

私の履歴書
■1964年(昭和39年)  鹿児島市内で長男として生まれる。(父・静夫、母・久美子)
■1977年(昭和52年) 3月 鹿児島市立草牟田小学校を卒業。
■1980年(昭和55年) 3月 鹿児島市立城西中学校を卒業。
■1983年(昭和58年) 3月 鹿児島県立鹿児島工業高等学校・機械科を卒業。
■1983年(昭和58年) 昭和58年3月15日
日本電装株式会社(現:株式会社デンソー)に入社。
(平成2年7月31日退職まで7年4ヶ月勤務)
日本電装では、IEスタッフとして、トヨタ生産方式を中心とした現場管理・改善業務に従事。
■1990年(平成2年) 平成2年8月1日
株式会社タナベ経営に入社。
(平成6年9月2日退職まで4年1ヶ月勤務)
タナベ経営では、経営協力部員として、経営診断・コンサルティング・セミナー等の業務に従事。経営協力課長。
■1994年(平成6年) 平成6年11月1日
株式会社レンリマネジメントコンサルティングに入社。
(平成7年8月31日退職まで10ヶ月勤務)
レンリマネジメントコンサルティングでは、会社設立業務から携わる。経営診断・コンサルティング・セミナー等の業務に従事。
■1995年(平成7年) 平成7年9月1日
瀬口舗道株式会社に入社。
瀬口舗道では、現場作業を経験。後に経営企画室長、取締役就任。
■1999年(平成11年) 4月 有限会社厚冨産業(現:コウフ・フィールド株式会社)の代表取締役に就任。
同族会社の事業継承ではなく、株式取得という形で経営者となる。
現会社の第二創業年度。
■2004年(平成16年) 4月 コウフ・フィールド株式会社、社長就任(会社の第二創業年)から5周年を迎える。
■2009年(平成21年) 4月 コウフ・フィールド株式会社、社長就任(会社の第二創業年)から10周年を迎える。
■2014年(平成26年) 4月 コウフ・フィールド株式会社、社長就任(会社の第二創業年)から15周年を迎える。

■資格 一級造園施工管理技士
一級土木施工管理技士
中小企業診断士
推進工事技士
その他(体育施設管理士、舗装施工管理技士、建設業経理事務士 他)

■JC歴 2000年度(社)日本青年会議所九州地区福岡ブロック協議会 事務局長
2002年度  同上  世界会議誘致特別委員長
2003年度(社)日本青年会議所九州地区協議会 副会長
2004年度(社)山門青年会議所 理事長(第30代)

■その他所属 福岡南洲会(鹿児島県人会)
鹿児島工業同窓会 福岡支部
山門青年会議所OB会
瀬高ライオンズクラブ

モットー・信条・好きな言葉
変化こそ常道 会社の経営理念です。
「強い者が生き残ったわけではない。賢い者が生き残ったわけでもない。変化に対応した者が生き残ったのだ」(C・ダーウィンの『種の起源』の一節より)

一日一生 地球が誕生してから約46億年という月日。この地球の歴史を一週間に置き換えるならば、人類が文明をもってから、まだ1秒とわずか。
人生とは「奇跡」であり「瞬間」であり「貴重」だと痛感します。

ご縁で生きる 中村文昭氏の著書「お金でなく、人のご縁ででっかく生きろ」という書籍に出合い、ご縁を大切に生きていこうと自分自身に誓いました。
人間決して一人では生きていけないと思うからです。

素直な心と謙虚な姿勢 我以外皆我師。
学んで学んで学び続けて終える一生でありたいと願います。素直な心と謙虚な姿勢がなければ「学び」はないと確信しています。

明るく、楽しく、正しく 経営コンサルタント時代の師匠から学んだ言葉です。
プラス思考(明るく)で、全員参加(楽しく)で、価値判断基準(正しく)をもった組織運営を心がけます。

至誠通天 誠・信念を貫けば、想いは天まで通じる。
人間社会のコミュニケーションの原点は親から授かった「愛情」を忘れないことだと思います。愛を忘れず、義理・人情を貫きたいと思います。

情熱と挑戦 経営者にとって一番必要な事は、事業に対する「情熱」と「挑戦」だと思います。
逆説的に、これを見失った時は引退のタイミングだと思います。
従って、社長業をしている限り、自分自身の信条としていきます。

家族
妻と二人の子供

長男・聖史(さとし) 「聖」という漢字には、「知徳が最もすぐれ、あまねく事理に通じていること。日のように天下の物事を知る人。聖人」という意味があります。
そうあって欲しいという願いを込めて、私が一週間考えて付けました。


こういう語源もあるそうです。

王とある部分はもともと「壬」で、大地にすっくと立っている人の姿を意味している。耳は、神や天の声をちゃんと聞けること、口は聞いた真意をしっかり伝えることを意味する。

次男・輝(ひかる) まわりを広く照らすことが出来るような人間になって欲しい、また自分の人生が輝いて欲しいという願いを込めて、何より妻の強い要望もあって「輝」と名付けました。


こういう語源もあるそうです。

「光」語源である、人が頭に火を頂いて、足元を照らす姿を表している様子と、は車に屋根をつけた状態を表す「軍」が組み合わさった字。つまり戦車を表し、転じて「軍」そのものを意味するようになる。軍は広く動くことから、広く光で照らすことを意味する。


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